鬼嫁になることを決意

私は「鬼娘」になる!!!

この宣言に母が大賛成。
(え、母は嫌じゃないのね)

そして「鬼嫁」になるぞ。
(こちらはこっそり実行する)

義父母のやれることを取り上げない
お節介をやかないように心掛ける。

周りの方への気遣いは大切だし
相手を思いやる優しい心は
対人関係を円滑にする。

その場の空気を和ませることもできる。

しかし、優しさの使い方を
間違えてはいけないようだ。

日常をともにする近しい人への手助けは、
結果として「親切」にならず
できること(何かをする機会)を
奪ってしまうことがあるらしい。

「親切」でやったつもりが
「おせっかい」に形を変えてしまう。

そんなことがあるなんて気づかなかった。

そう言われて思い当たるのは、
義母が退院したときのこと。

薬の量が増えたため飲み間違いがあり
一週間分カレンダーに貼っておいた。

その後、義母は安心して薬を服用し
薬が無くなると私を呼ぶようになる。

親切心でやったつもりが、
これはやりすぎたと後から気付き
全て整えてしまうやり方を修正した。

やってあげることで親孝行感があるし、
感謝されたい、認められたいと
心のどこかで思っていたのかもしれない。

私がやってあげた方が早いし、
間違い無いし、待たなくていい。

その方が楽だという気持ちも
あったのかもしれない。

老親に対してできることを取り上げず、

待つ、見守る、任せる。

子育て同様、こちら側にも忍耐が必要だ。

しかも、敬うべき老齢の親に、
「自分でやって」と指図することは
ちょっと、何となく、心が痛い。

やってあげた方がこちはの心の痛みもなく、
葛藤もなく、穏やかに物事が片付く。

しかし、気づいた時すでに遅し。
親は認知症の症状が出てくる・・・・

なんてことが起こると非常に困る。

先日「お嫁さんがよくやってくれるので、
私はすることがなくてボケが進んだのよ」

という認知症ご本人の話を伺う機会があり、

そんな!!!

良かれと思ってやったことが、
「認知症になったのはあなたのせいよ。」
なんて言われたらたまったもんじゃ無い。

鬼嫁になることが認知症予防になり、
介護しなくて良い方向に進むなら、

もはや、双方良し。ウィンウィンの関係だ!!

そう、親にスプーン一本でも
自分で取りに行かせる。

「スプーン一本運動」は
曽野綾子さんも本に書かれていて、
実家でも母は、
必ず父に食事前に箸を並べてもらっている。

さあ、みんなで心の優しい
鬼嫁、鬼娘、鬼妻になろうではないか♫

介護の流儀 曽野綾子著